枕木の道 (作業班の歴史 その3)
作業班の面々はある日、柳生博さんの八ヶ岳倶楽部を見学した。
山荘にあった柳生さんのサイン本の影響だったか・・・。
彼の地で「石を並べた野外囲炉裏」と「枕木の道」にとりわけ感服。 前者はさておき、
枕木の道を山荘中に張り巡らそう・・・とのプランが浮上した。そこで、先ず”練習”と、
建物の裏を巡る枕木道の敷設に着手。これが土木工事の始まりだった。だが・・・。
「練習」なんてトンデモナイ思い違いであることがすぐに判る。
下の写真(アルバムから複写)の縦に伸びる枕木道だが、プロが敷設した手前の
部分に接続した最初の2本(各2m)を敷設するのに如何ほどの手間がかかったか!
枕木を埋めようとした土中に大きな石があったのだ!下は深い。掘り出すのは大変そう。
では平面を確保するために石の上部を削るか⇒N親方がたたき続けた鉄製ハンマーが
グニャリと曲がってしまった。微小なカケラが飛散したのみ。石はゆるぎなし。
次の手段。N親方の先祖が関ヶ原の豊臣方の工事奉行だということで、秘伝の開陳!?
『石を熱したのち、急速に冷やすべし。さすれば石は割れる。』⇒炭火5~6個を石に乗せ、
しかるべき後に冷水。祈るように見つめたが石は微動もせず。ため息。
ついにこの石を掘り出すしかなくなった!手持ちの道具で・・・。
おびただしい汗の代償として、とうとうこの石が掘り出された時の喚声は忘れられない。
思い知ったこと。石の重さ、そして土木工事というものの凄さ。それは、かつて城の石垣を
構築した人達への畏敬とも思える感慨につながってゆく。
ダンパー(地面を叩いて固め、平らに均すもの)を手作りしてしまったのもこの時だった・・・。
こういう経験を経て、第一作業班は知恵を付け、かつ、たくましくもなってゆく。 (続)