Qちゃんが負けた

女子マラソンのQちゃんが負けた。彼女のいわゆる栄光の歴史から見ればありえないような27位・・・。

●何故あの状態で走ったののかは知れないが、応援団としては常々気になる発言があった。それは監督を捨てたことに対して『かつては監督の言うがままのロボットみたいでしたが、今は自由な気持ちです』という発言。
なるほどそうかも知れない。監督も自分の名誉のための「商売道具」として選手を扱うということはあろうから。しかし監督が商売であるなら、それは
勝つための最善を指導してくれるということになる。それで良いではないか。選手だって「商売」なんだし。そして、そういうことを超えた人間関係に至るかどうかは、又、別の次元の話なのだ。


●それ以前に、監督やコーチは、「もう一人の自分」と考えられないだろうか。自分が怠けたい時、自分では気が付かない問題をかかえている時、それを指摘してくれるもう一人の自分。そしてその指摘を納得できれば(充分納得出来なくとも、自分にはそれ以上の解が無ければ)、「ロボット発言」もあり得ないわけだ。組織における上司やコーチって、そういうものだと思う。あのタイガーウッズにだってコーチは存在している。世に「傍目八目」とも言うし・・・。

●Qちゃんは「束縛と自由」を完全なる二択にする必要はなかったんだけどなー、という感想である。
(余談だが、会社員生活でも「上司をうまく使える人間」になるのが良い。)

ともあれ、これから「金メダリスト」のQちゃんが、自分の心と行動という意味でどんなタレント(素材の蓄積)を自らが作っていくのか、一方でマスコミがどんなタレント(報道の対象)として遇していくのか、それぞれに興味は尽きない。

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