第一作業班~夏の陣(その1)

お盆前の混雑を避けるため金曜日の午後イチ出発と決め込んだのが功を奏し、

銀座から2時間余でチェルトの森に到着。しかし、都会の暑さを逃げてきた私たちを

待ち受けていたのが突然の雷と激しい雨。”ゲリラ豪雨”は信州の地にまで及んだようで、

小一時間の雷雨のあとは忘れたかのような晴れ空に戻りました。

熱帯地域に見るスコールのような天気の変わりようで、地球温暖化の影響は

ここまで及んできたのかなあと感じました。

しかし、雨の後は20℃を切ろうかという気温にまで下がり、

蓼科に来た喜びを早速にも実感しました。すでに2週間を山荘で過ごす庵主様と合流した

私たちは、大月で”生き鮎”を調達し、中央本線を利用し蓼科を目指す茶坊主こと

N主任出迎えのため再び諏訪南インターに向かうことに。大月駅から鈍行を使い

“すずらんの里駅”に着くN主任をインター前で待つものの姿は見えず。

ところで”すずらんの里駅”ってどこだっけ。

N主任曰く、「諏訪南インターに近く、車組ともっとも合流しやすいポイント」とか。

携帯をかけると息も絶え絶えの主任の声。姿を求めて周辺の道を探してみると、

急勾配の坂を避難民のような重い足取りでキャリアを引きながら上ってくる主任の姿。

地方の人が言う「すぐ近くですよ」という言葉を間違っても信じてはいけないことを

N主任は身をもって私たちに示してくれました。

山荘利用者への教訓「列車組との待ち合わせは茅野駅とすること」

夕刻にはK作業班員兼賄い班員とTお姉さんが到着しました。

この二人にYさんも加え、今回の賄い班は充実のメンバー。

庵主様の「第一作業班はすでに予備役。今や賄い班の様相」という指摘も頷ける。

さらにN主任の大月での食材調達を始め、Yさんの築地調達の食材、

さらに現地調達の季節の野菜と食材も豊かでこれからの食事に期待が膨らむ。

現地調達と言えばインターから山荘に向かう旧農道沿いに”たてしな自由農園”なる

新しい産直の店が出現。駐車場には。他県ナンバーの車が多数。

かつてAコーポの食材に狂喜したが、別荘族のニーズに応え蓼科は益々進化している。


初日の夕食は庵主さまご指定の浅蜊鍋。

Yさんが師事する新橋の大将に調達をお願いした当日剥き身にした浅蜊と大根、

そして羅臼昆布で取った出汁だけの極めてシンプルな鍋です。

浅蜊も大根も時季を逸していると言われたもののいやあこれが美味。

思う存分堪能させていただきました。


北京オリンピックの開会式を見ながら、美酒とこだわりの料理で

初日の夜は更けていきました。

アサリ大根.JPG

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