縄文塾に 「考古館長」が・・・。

11月17日に、縄文塾に出かけた。小生が会員の「国際縄文学協会」の講演会。

今回は、山荘”ご近所”の「茅野市尖石縄文考古館」の館長氏(鵜飼幸雄さん)の講演があった。

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○我々にとっては、国宝・縄文のビーナスで知られた考古館で、山荘来訪者と時々行くなじみあり。さらには(入館はしなくとも)、風呂好きが縄文の湯に行く時の通り道でもあるし、ま、同じ町内感覚である。

○さて、縄文のビーナスは「やがて巫女となるべき女性が幼く亡くしてなったので、その埋葬品として」説があるそうな。それにしてもあの造形の見事さは・・・・。さらに背景的には、発掘された棚畑遺跡の周辺が黒曜石の豊かな産地であり鏃(やじり)の各地への供給元であった、つまりは時代の先端的な地域であったらしいとか・・・のお話が続いた。

○鵜飼館長は茅野市の出身で、郷土愛にあふれた方。考古館にも、地元だけでなく東京からの若い人が来てくれると嬉しいということだった。⇒山荘来訪のどれかグループが考古館に行ったら、館長を呼び出して直接解説をしていただけるという話になった。

○一方で小生から、鵜飼館長に「依頼・おすすめ」を・・・。

それは考古館の展示及びビデオ映像の中に、『縄文人の精神性』を加えて欲しいとうこと。時代を解説するということは、その精神性を解説する事だろうと思うから。

曰く

・縄文人は、いたわりと助け合いの民であった。

・縄文人の精神性は、その後の日本の武士道の中に生きている。

・縄文人は、人智の及ばぬことについて、正しく神を畏れる民であった。 とかとか(小生の愚考)。

鵜飼さんには 「貴方の縄文への憧憬を煮詰めて3年くらい考えて、来館した若者に伝える言葉を考えて下さい。」 と・・・。

 ま、横丁のご隠居のお節介登場という格好ですかね。

だがしかし、小生がこの協会の会員になった理由は、渺茫の彼方に、日本人の精神の源を見たかったからなのである。

山荘と風、山荘と小川のせせらぎ、山荘と小鳥、山荘と縄文・・・・。

似合いのおもむきあり、なのが嬉しい。

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