2014年、1班の夏

2014年、蓼科山荘の来訪者は、名古屋組のあとに第一作業班である。8月8日午後~10日にかけて

「いつも顔ぶれ」が揃った。東京発のK予備役班員、N親方、Y賄い班員。一方でN作業主任は仕事での京都出張からの別行動、中央本線で茅野駅に。

○この写真は9日に大王わさび農場に行った時のもの。撮影スポットの水車小屋の前で。

○さて第一作業班は、大分以前から(ほとんど来訪の初期から)別名が「第一食事班」である。食材にこだわったFシェフの時代を経て、「炭火を使った焼き物が旨いよ料理」、さらに 「とっておきお取り寄せ」 や 「小料理屋のご主人の好意料理」などとバリエーションが広がっている。ともかく、普段はあまり口にしない? 『優れた食材』やら、『炭火の威力』活用やら、と楽しみが広がっているわけだ。

亡き池波正太郎さんの後を追いかけている、と言えば口はばったいが、そんな風情もあり。

戒めは「高い値段にだけ目がいかないように」ということか・・・。畢竟、料理は「手間」だから。

まことに「御馳走」(走りまわって整える)の文字を見つめる次第なり。

○8日の夜は神茂のおでん。卵と大根は自作。大根は米のとぎ汁利用で、ちゃんと面取りをした手間もの。卵も黄身が多く妙に旨いものだった。これを半分ずつ分け合って食べたときだったか、

『半玉→はんたま』という言葉が生まれた。K班員、N親方ともその語感に反応して「半玉はよろしくない」感想で笑っていたが、小生は別の感慨。

以下、微妙なことを書く。

○第一班は元々は会社内の飲み会グループが始まりで、その名は「今R・阿呆の会」。阿保を呼称していたが、本当の徹底的な阿呆になってしまうわけではなく、いわば阿呆を装って、少しその世界に遊ぶ感じであった。→必要ならいつでも「普通」に戻れるという阿呆。この、精神の半熟な感じが、たまたま登場した「半たま」という言葉にぴったりで、思わず一人「おおー、我らなり」とかの感慨に浸っていたという次第。 「半たま」は無難で、小さな幸せなのである

N作業主任が子息に山荘エピソードを話したら、「なにそれ、みんな子供みたいじゃん」と言われたという事だが、そこに「半たま」の真実がある。普段は出来ない童心に帰る時間。東京に帰れば、また普通の大人に戻るわけだが、半分だけ「違う世界に浸る自分を楽しむ」というわけだ。

ま、適当と言えば適当。 いい加減と言えばいい加減。 (これらの漢字を見よ!)

この項目、なかなか上手く書けないけど・・・。

○さて二日目の9日、午前中は一部の枝落とし。小生が、「入り口の駐車スペースからシンボルツリーの栗の木がスッキリ見えるようにしたい」と願ったのに答えての”作業”なり。

K予備役班員(後のメールで)「予備役編入も一時停止の期待・・・。」と。  

久しぶり?の作業はやはり汗の味があるのだろう。

あと、テラスの支えが自発的に補修補強された。さすが作業班。

○午後は既述のごとく安曇野の大王わさび農場。3年前くらいに行った時より更に駐車場広がって、盛況。N親方「うまいことやるなーが第一感ですが、やはりあれだけの状態を維持する手間に頭が下がるというべきでしょう」と。 余談だが、安曇野という地名は何故か清涼な余韻があって、気分が高揚する。当然、わさび購入。

○晩餐は、例の小料理屋のご主人が仕入れて下味を調えてくれた『鱧と松茸の鍋』。鱧は下こしらえで、吉野葛を身にまとわせて煮崩れしないようにしてあるという細工。以下推して知るべし。

鱧の骨でとった出汁といい、まことに玄妙な味だった。雅な味とも言えるか。

(この出汁は翌日のうどんと雑炊にも再利用。)

この鍋のあと、一転して生姜焼き肉!⇒料亭から下町の洋食屋さんに席を移した感じ。A級とB級の両方とも満足して食える可笑しさよ。

(のち、Y賄い班員が、小料理屋のご主人と、ヤマイモの2重すりおろしを教えてくれた蕎麥屋の主人に挨拶に行ったら、食べた者が喜んでいた話に顔がほころんだとか。正当な料理人魂なり。)

○2日間ともK班員提供の上質ワインあり。名古屋組が置いていった酒も。N親方の焼豚も活躍。

また、「ヤマイモ2度手間のすりおろし」(N親方作)は、別段の食感で、小生は2晩目もお願いしたほど。我が家からの差し入れデザートあり。 N班員のお土産「西湖」は食べそびれ。

1班夏.jpg

○ちょっと不気味な?鼻栓。N作業主任が風邪気味。(鼻汁垂らすな指令を受けての処置。)

○そのN班員も翌日会社の保健室で、「風邪をひいていたとは思えないほど、顔がスッキリしていますよ。」と言われたとか。山荘は癒し力あり。 K班員も「ぐっすり睡眠出来て、夏の蓼科は得難い機会です」と。山荘は眠らせる力あり。Y班員は「TVでやっていた脳の活性化の基本は蓼科山荘にみんな揃っているのに気が付きました。おぉ~。」とのこと。山荘は人を元気にする力あり。

○また秋に・・・という声が上がっています。

山荘がそういう場に育っていることは、嬉しいことです。 

また、秋に・・・。 そうまた秋に・・・。

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追記:蓼科山荘という環境

秋の山荘.JPG

以下書けば、どうしても自画自賛の感じを免れないが、自分への心覚えの意味も込めて・・・。

蓼科山荘が癒しの場であるのは、

①先ずは、あの気候風土。そして東京からの(名古屋からの)適度な距離感。これが第一。

②あの建物の構造。個室がない。「居心地の良い合宿所」というコンセプトと、一定のルール。

③あの風土への旅でも、生嶋別荘で庵主が家内ともどもお迎えして客となってもらう形では、癒しにはなりにくいだろう。やはり「合宿所」こそが・・・。

また、同じ蓼科で上げ膳据え膳のホテル滞在だったらどうか。いっけん安楽そうでも、やはり

心からの安らぎはあるまい。「他人」が色々介在するから。

○となると、意図して出来上がった現在のオペレーションと来訪者の組み合わせが、あの山荘を、特別の色合いにしているといえそうだ。  

○シンボルの栗の木は、静かにそれを見つめている。

成長した栗.JPG

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余談。

8/15日の夜に、給湯のボイラーが壊れた。翌日修理の人に来てもらって、開けてビックリ。

中にヤマネが住んでいた痕跡があり、配線をかじっていた。それで故障。

『さすが、ヤマネ山荘だな』と妙なところで感心した。

PICT0084.JPG

○山荘内を走り回るヤマネ。

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