第一作業班は、別名「縄文組」に?
15年10月9日~11日にかけて、第一作業班の例の中核メンバーが来訪した。K予備役班員の車にN親方とY賄い班員が乗って、昼過ぎ拙宅に。途次順調で、夕方自由農園でちょっと買い物。
(昔は、双葉インターまで来ると蓼科の気分が高まったものだが、今は代わって自由農園。味噌販売のおばさんと顔が合うと、蓼科に来ました!気分になる。)
9日の夜8時前には「あずさ」のN作業主任もめでたく到着した。
さて、今回は事前に「何か縄文がらみの企画がしたいね。」という話があった。(前回、尖石考古館に行って国宝2点を観た感動は波動となっているわけだ。)そこで、11日の「茅野市5000年尖石縄文祭り」に参加するをメインにした今回企画だったが・・・。
○9日夜のメインは、浅利大根鍋
羅臼昆布の出汁、に飛騨山椒を振りかけて、あつあつをうはうはくう。池波梅安「彦さんよ、やっぱり大根は旨いね・・・。」 浅利も新鮮で煮ても固くならないのが美味だった。更にこの出汁を使って、紅鮭缶と豆腐、油揚げ、小シメジ、エノキ茸の鍋。(あの鮭缶の新しい使い方!)
冷ややっこと神茂のはんぺんには、N主任が絶妙に削った薩摩鰹節の醤油まぶしを添えて・・・。
ほかにまだ、神茂のおでん、蒲鉾。山芋の素焼き。セロリの漬物、食用ほおづき、アケビ・・・。
最初の夜で、これだけの献立だから、翌日からも凄い。混じり気のない正しい料理?と言えば聞こえは良いが、今では多分「贅沢な料理」が次々登場だった。
流石、第一作業班:別名第一食事班!
「あれ、縄文組はどうなったの?」⇒そうなんだ、先に書いてしまうと、我ら縄文人の精神性にはまだまだ遠く及ばずで、やっぱり「食事班」の方が、当面似合いだ、という感想である。
(それが、このブログのタイトルに、?が付いている理由です。)
○N親方が自家製のどぶろくを持参。簡単に出来るような説明。甘辛の2種類は、まろやかで美味。
さて、10日、N親方、N主任、Y班員が、茶臼岳登山を敢行!それは大変な珍道中であったらしく、上り下りの苦労よりも、専ら珍道中物語りで3人が笑い転げるのを、Kさんと小生が意味不明ながらお付き合いするのみの時間が流れた。ともかく、今回エピソードのひとつ。
10日からの食べ物も、色々特筆すべきことあったが(Kさん味噌汁など)、10日夜のメインの鶏のダッジオーブン料理が上々だったこと、思わず買った「地元産:本シメジ」の炊き込みご飯が、さすがの、味シメジであったことは、書かねばなるまい。
(あとすべて書くと、食い物ブログ、食い意地ブログ、になる。)
○例によってK予備役班員から、上等ワイン提供あり。
11日は朝、強い雨だったので、予定した「縄文祭り」は止めて帰るだけの日に。
帰京。「1班の食事会は美味だが、それも、この人たちのぬくもりがあればこそ・・・。」と心の中で文字を書く。賑やかな宴のあとは、いつも僅かにもの悲しい感じがする。
「明日は俺も流れ星」などと言っている庵主の涙腺が少しゆるんでいる。
○山荘庭で取れた、縄文の神への供え物。
補記:テラス用のペンキを買った。雨なので塗らなかったが、これは作業班の名残なり。