なんと、ヤマネが子を産んで・・・。
7月2日(金)前泊~4日にかけて、第三班のゴルフ来訪があった。作業班のゴルフ来訪は珍しいのだが、これも定番になりそうな気配あり。ゴルフでも色々あったが、今回のトピックはなんと言っても、ヤマネの来訪。それも子供3匹とともに発見されるという椿事!
以下、順を追って・・・。
2日夜に木村じゅ君と、3班シェフの高森志文さんが我が家に来訪し、志文さんの車は我が家に置いて、生嶋号で3人出発。3日0時30分ごろ到着。そのあと午前1時過ぎに別車の木島君が到着。しばらくゴルフ談義など。とりわけ小生と木島君が就寝したのは午前3時30分になってしまい、明日の(当日の)ゴルフに備えてなんという不謹慎・・・。
まあそれでも、その夜は、単に楽しい開放された夜だった。
○前泊の3人。
ここからゴルフの話は、捨て置く。それでの話題は、木村じゅ君がついにオリンピックで賞金獲得をしたことと、あの「第1班が散々やられた蓼科ブヨ」に2班も見舞われた・・・ということ。夏の終りごろまで痒みが残ることもある蓼科ブヨ、恐るべし。
3日夜だ、その”事件”が発生したのは。今夜は早寝しようと2階に上がった高森さんが、血相変えての報告。『ヤマネが・・・。』と。
我が山荘で時々発見されるヤマネ。あの機密性の家で、どこから侵入するのか、とりわけ外には出られるのか、ずっと不明のままのヤマネ。しかしこれまで4~5例の発見があるヤマネ。大概は死んでいるのが発見され、『ヤマネの墓』も作って、線香を手向けた。生きて見つかった時は、必死の捕獲作戦ののち戸外へ放して、自然のなかで生きていくよう願ったヤマネ。
蓼科山荘では、ヤマネ用に水皿とニンニクが置いてあり、彼らが来訪してそれらを活用した後は、また外の自然に帰るように願っているのだが・・・。⇒この森の妖精(天然記念物指定:1975年)を飼う気はもちろんさらさら無く、いったん客人として来訪しても無事森に帰ってほしいわけだ。山荘内で生き抜くのはついに無理であろうから・・・。
さてそのヤマネが、今回は生まれたての赤ん坊3匹と一緒に発見されたのだから、これは特質椿事。
○モミガラの中が棲家
○子供2匹
○子供を咥えて運ぼうとする母ヤマネ
ともあれ『この山荘内で生き抜くことは出来ない』という小生の思いのもと、母子を戸外に出す作戦、その前提としては4匹同時確保の作戦をあれこれ展開するも(中略)、ことごとく失敗。ついに人はその部屋から出て、子3匹を放置。同時に一番近い2階テラスの出入りの網戸に穴を開け、その外に水と餌と置いた天井付きの「ヤマネ脱出誘導キット」を置いて、階下で待つことしばし・・・。
しばらくのち、ヤマネ母子は忽然と姿を消していた。あの子ヤマネの鳴き声は聞こえず。人為脱出ルートから戸外に出たか。それともヤマネルートから逃れたか。はたまた未だ山荘内のどこかに隠れひそんで居るのか。不明なり。
無事を祈る。願わくば戸外で巣を・・・。
○これが脱出誘導キット。網戸下方は切り折りの穴を作ってある。(翌日に撮影)
○捕獲に活用しようとした布団袋。この中にモミガラ枕をヤマネの子供ごと入れて、母ヤマネごと捕獲し戸外へ放つ作戦だったが・・・。
蓼科山荘は〔ヤマネ山荘〕という別名でいかがでしょうか、とK君。
そんな話題を残した3班ゴルフ来訪だった。
東京から僅か2時間半の場所に、思いもよらない自然が残っていた。
ほのぼのとした感慨。