2008年9月アーカイブ

『禁欲的でない?作業班』

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16日に第一作業班の会議が開かれました。前回ご紹介したN主任の丁寧なサイトでの情報収集と、図面を見ただけで完成させたかのごとく満足感が味わえるイメージ図のおかげでいつになく真面目な会議になりました。会議冒頭、N親方が「型枠を組んでその中にモルタルを流し込み完璧な基礎工事を行いたい」と全員唖然とする提案がありました。

「家を建てるテストケースにしたい」との親方の気宇壮大な思いの開陳がありましたが、その他のメンバーの脳裡には「薪置き場ならぬ薪小屋建設計画の再来か!?」との懸念がかすめました。「心意気や良し、と言えなくもないが、もし途中で計画が頓挫した時に醜悪な姿を残す危険がある」というリスク管理の行き届いた庵主様の意見があり、めでたく却下されました。

そんな流れもあり、土台のブロックを9or16個設置する基礎工事を行い、その上にカスタムオーダーのテラスをのせるという方向でまとまりました。大土木工事にはならないものの、石の撤去の問題、水平面の確保などかなりのチャレンジを行うことになりそうです。

翌日、庵主様からメールで「年内は基礎工事のトライアルだけで、完成は来年、という時間軸で工程を組むように」という温かなご提案があり、10月第2週の蓼科訪問は「ゴルフ2日」&「ダッチオーブンでの新メニュー挑戦」に加えて、"作業"との盛りだくさん日程になりました。

庵主様の命名による「禁欲的でない?作業班」、でも自分達の体力を過信しているとの見方あり!?

○打ち合わせの二次会に現れたこのブログSEの竹本和彰さん(中央)  左右に謎の人物。 NEC_0127.jpgのサムネール画像

9月12日~14日にかけて、「RCS組」と称するゴルフな人たちが来訪。前泊は榊さん、正木さんのほかに初参加の鈴木勝典さん。ほかゴルフ参加は山下さん、清水さん、日高さん、山田さん。

これRCSかどうか不明なれど、ともかくその系統の人達が飲んだある晩に、「生嶋さんの山荘に行こう!」と盛り上がった結果(その夜は酔っ払いから小生への電話、かまびすし)の実現企画なり。

ゴルフは、山下さんの「ベールを脱ぐ」(変身した自分のゴルフを披露する意)宣言が未達に終わったことが話題の第一か・・・。(やまちゃん、次回こそ。 それと両Yさんの「八ちゃん兄弟」という愛称はあの日限りにしましょう!)

それより面白かったのは、彼ら"ゴルフな人たち"の作業班関係の話題。これはこの企画の最終案内に山荘日記のURLを添付したことに起因するわけだ。

曰く「なんかスゲーらしいよ」。 曰く「ストーブ一級って何?」。 曰く「ゴミロードの草刈ならやったことありますよ」。  曰く「小川への道、感激しますね」。(⇒これはもっと大変な工事があったと訂正しておいた。) 曰く「屋根に登ってソーラーを掃除する人も居るんですって?」。曰く「山荘ブログ、気合いが入っていますね」。曰く「我々は、あっ出来てるといってBBQコーナーを利用するわけです」。曰く「戸袋開けると工具がズラリ。これ普通の家じゃないですよ」。とかとか。

そしてついに調子に乗って、自分達も作業班になれば第四作業班か、いやそれよりも第一の上をいく「特殊作業班」というのが格好いいぞ!⇒草刈ちょっとやっただけで何言ってるの。判ってないよ!!無理、無理!

それでも、彼らを代表して正木・鈴木の二人が粗朶つくりを40分ほどやって大汗をかいだ経験が、多少なりとも作業班への道のりを理解したことになったかも。ま、ずっと結局、ゴルフな人たちではあろうけど・・・。⇒ただ、作業班への理解が多少なりとも深まった結果「薪税」は素直に受け止めてくれました。

初参加の鈴木かっちゃんが、『ああ、ここにずっといたい・・・。』と言っていたのが印象的。

NEC_0126.jpg

 

いよいよ開発会議

コメント(2)

8月の蓼科での区画割りを受けて、第一作業班は来週16日に
実施プランの検討会議を行います。

今回も、事前準備の万全なN主任が各種サイトから情報を集め、
本格的なイメージ図まで作成してくれています。

やはり難題は、地盤の起伏とそこに陣取る石との折り合いをつける
土木工事のようです。N親方からは作業班にとって初チャレンジとなる
"モルタル工事"の提案もあり、予備役転じて新生作業班の誕生となるか
楽しみな会議になりそうです。

庵主様に書いていただいた"作業班の歴史"を見るにつけ、
夢広がる完成イメージと作業班の力量のバランスをどう取るかが、
議論のポイントになりそうです。

 

N主任が作成した本格的イメージ図
3M四方-イメージ図.JPG

テラスのペンキ塗りに挑戦した時も話題は豊富だ。まず元のペンキが何であるのか、

建築担当の小澤工房でもすぐはハッキリせず、店の見本と比べて「オールドブルー」

と決めるまであれやこれや議論。

さて、むちゃくちゃ大変だったのは、ペンキを塗ることでは無く、その前に元のペンキを

キレイに剥がす・削り取るという作業。あの広いテラスを手作業で紙やすりを持って

すべて削りとったのである。

(その後第二作業班が引き継いだ時は、電動グラインダーを導入した。)

これをN親方とK主任(当時)がほぼ2人でやった。見かねて宿泊滞在していた

S蕎麦亭主も手伝いを買って出たほど。腰痛必至の作業だったはず。

しかもこの作業のあいだ、小生とT姉とかは、なんとゴルフをしていたのである。

たしか1日では終わらなかったこの作業、出来上がった時の感激は

忘れられない。しかししかし、この担当の二人のなんとも誇らしげな顔!

最初のペンキ塗り.JPG

この写真(アルバムから複写)いかにも愉快な記念写真。

これ義兄弟!?  それとも「○△ペンキ商会派遣の2人のペンキ職人」とか。

ともあれ第一作業班は全盛期を迎えていた。  (歴史もの、いったん終了)。   

 

第一作業班は、思い出すだけでも多々の足跡がある。順不同で列挙すると、

小川への枕木道(これは地面に乗せた「建築」構造)、テラスの階段、テラス補強、

BBQコーナー、第二次作業計画会議(ツリーハウス、茶室、花壇、露天風呂ほか)

雑木伐採と焚き木作り、プロと競った下草刈り、増築部分の窓枠ペンキ、鳥の巣箱。

ゴミロードの指示(⇒第三作業班が担当)。

そして今回現場復帰決意!で「川べりの涼み台」。(仮称)

この間、実は『食うこと』にも並々ならぬ関心と努力を払い続けている。今もさらに・・・。

写真にあまり出てこないFシェフは、実はいつも作業班を尻目に食事の準備に全力。

いま休養中ですが、兵站に徹したFシェフの復帰も待たれるというものだ。

 ○ こんな工事(テラスの階段)も・・・。(アルバムから複写)

テラス階段工事.JPG

 

 

最初に枕木の道に挑戦した時、地面に埋まっていた石。 大変な苦労で掘り出した石。

それを枕木の脇に寄せて、いまもそこに記念としてある石。

メルクマール石.JPG

この石はなにげなく見ると、さほど大きくは無い。よく見かける大きさである。

とりわけ山荘のあたりでは、

地面にゴロゴロ埋まっている石のひとつに過ぎない。

だが、これは『メルクマール石』なのだ。

ブルドーザーもクレーンも無い都会派作業班にとっては、

これが限界の石だというメルクマール。

これより大きそうな石が地中に見つかったら、それを掘り出すのはあきらめよ・・・という意味で。

この石、掘り出したあと、横へずらすだけで大の男3人が全力を挙げねばならなかった。

そういう意味でも、これが「限界指標」。

今も我々と対峙してこの石はそこにある。思い出とともに・・・。   (続)

作業班の面々はある日、柳生博さんの八ヶ岳倶楽部を見学した。

山荘にあった柳生さんのサイン本の影響だったか・・・。

彼の地で「石を並べた野外囲炉裏」と「枕木の道」にとりわけ感服。 前者はさておき、

枕木の道を山荘中に張り巡らそう・・・とのプランが浮上した。そこで、先ず"練習"と、

建物の裏を巡る枕木道の敷設に着手。これが土木工事の始まりだった。だが・・・。

「練習」なんてトンデモナイ思い違いであることがすぐに判る。

下の写真(アルバムから複写)の縦に伸びる枕木道だが、プロが敷設した手前の

部分に接続した最初の2本(各2m)を敷設するのに如何ほどの手間がかかったか!

最初の枕木.JPG

枕木を埋めようとした土中に大きな石があったのだ!下は深い。掘り出すのは大変そう。

では平面を確保するために石の上部を削るか⇒N親方がたたき続けた鉄製ハンマーが

グニャリと曲がってしまった。微小なカケラが飛散したのみ。石はゆるぎなし。

次の手段。N親方の先祖が関ヶ原の豊臣方の工事奉行だということで、秘伝の開陳!?

『石を熱したのち、急速に冷やすべし。さすれば石は割れる。』⇒炭火5~6個を石に乗せ、

しかるべき後に冷水。祈るように見つめたが石は微動もせず。ため息。

ついにこの石を掘り出すしかなくなった!手持ちの道具で・・・。

おびただしい汗の代償として、とうとうこの石が掘り出された時の喚声は忘れられない。

 

思い知ったこと。石の重さ、そして土木工事というものの凄さ。それは、かつて城の石垣を

構築した人達への畏敬とも思える感慨につながってゆく。

 

ダンパー(地面を叩いて固め、平らに均すもの)を手作りしてしまったのもこの時だった・・・。

こういう経験を経て、第一作業班は知恵を付け、かつ、たくましくもなってゆく。  (続)

最初の作業は、本格的な薪置き場づくり。枕木と材木の組み合わせ。このとき初めて

ペンキ塗りにも挑戦した。出来上がったのは、今は増築されている部分の軒下。

誰にも文句を言わせない格好の良い薪置き場となった。

ストーブの季節には、ここの戸を開けて薪を取り込んだ思い出。

「なつかしの薪置き場」という名前は、これを担当したN親方とK主任(当時)の

苗字を並べてみたものだが、これは例えば〈なつかライト〉なんかと

比べてポピュラーにはならなかった。 さておき下の写真(アルバムから複写)がそれ。

第一作業班にとっては今振り返れれば

"習作"みたいなものではあるが、記念すべき第一作業となった・・・。

なつかしの薪置き場.JPG

この作業をやり遂げた満足感がエネルギーとなって、第一作業班は進化に向けて

走り始める。   (続)

雪の中で.JPG

2006年までは、これが活用されていた。(ことが写真の日付けで判る)

作業班は進化の道程です。彼らも最初は単に遊びに来る人達だった・・・。まず第一作業班。

某年某月。K予備役班員(当時作業主任)、N親方(当時ヒラ)、N作業主任(当時、同じくヒラ)の3人が小生の要請で薪置き場にするためのスチール棚を組み立てる作業をしたことから、それは始まった。それまで薪は、ビニールテントに覆われており、虫の棲家となっていた。室内に取り込んだ薪からは虫が大量発生。てんとう虫が500匹!さらに燃えにくいという大難点も・・・。

これを解消するために「薪置き場」代わりのスチール棚。自分らで組み立てるタイプ。この組み立てが

(簡単なはずだったが)難航した。組み上がるとネジの位置がずれてゆがんでいる、ネジをテラスの

隙間から落とす(これはN主任が、簡易トリモチで回収!)、組み立て直す・・・。

数度目にやっと完成。

その時の小生のつぶやきは『高学歴なんて、なんのたしにもならんなー。』

さておき完成したスチール棚に薪を並べたのが写真のような状態。(写真はアルバムから複写)

スチール棚.JPG

これは最初は表の目立つ所に置いてあった。そこで事件。⇒次の来訪者の"遊び組"のM.Iさんが感想をひと言⇒「これ、スチールだから、山荘の風情には似合わないですね。」

これで組み立て担当の3人の心に火がついた!スチール棚は裏に移動され、本格的な薪置き場への挑戦が決まった。『作業班』誕生の瞬間である。

2001年の秋のことだった。  (続)