5月29日~31日にかけて、第三作業班に第一の3人が参加する合同企画が行われた。第一からはリハビリ中のFシェフと付き添いのK予備役班員、Y賄い班員。予備役班員は下界ではエライさんなので、今回の「混じり具合」にいささかの懸念が事前にはあったのも事実。しかし杞憂だった。結果としては『ぬくもりの交歓』となった。山荘の環境が(それが非日常であるゆえに)人の心を純にする、浄化する、童心に還らせる・・・そんな効果が元々の人間素材とあいまって、ほのぼのとした笑いの時間が流れていた。

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前泊は小生と木村じゅ君、たまえさん。歓談尽きず就寝は30日午前3時半。翌日には三々五々集合。築地組の志文&上田さん。大阪から西山シェフ。初参加の白谷(シラタニ)君車で山本卓君と岸下さん。前泊組は今回初めて「原村の農業実践大学校」に行ってみた。山荘とは直線距離ならごく近の所にある。ここの直売所は利用価値あり。自由農園に拮抗。かつては華だったAコーポの影がますます薄くなりそう。いまや"思い出のAコーポ"に。さておき今回は作業は無く、かわって「三班備品」のテラスセットを出し、BBQコーナーのテントも設営。夏支度。あいにくの雨模様だったが・・・。その雨の合間に小川を渡った谷間に割く「山フジの群落」を観た。人知れず咲いていた。誰が見ているかを問わず、己が美しいか否かを問わず、ただ咲いている。まぎれの無い実存と言うべきか・・・。

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料理のメニューは盛り沢山。定番の鯛の塩釜。車海老塩焼き、湯葉湯豆腐、ハラス焼き、ピーマン焼き、きんぴら、箸休め野菜、ほかほかほか。更にFシェフのラタトーユ風。

キッチンも普段に増して大賑わい。

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○鯛をきれいに開いたのは、写真の人では無かったような記憶・・・。

食べ、飲み・・・ラストは農業大学校のアイスクリームでで締め。途中そういえば「真澄のぬる燗」ではY賄い班員が木村じゅ君を脱帽させた一幕もありました。

冒頭にも書いたけれど、今回、合同することで新しい発見が生まれ、楽しい交歓が生まれ、豊饒とも言える時間が流れていた。集う面々は多少阿呆なところもあるわけだが、それが味となり純化されて、まぎれもなく"良い時間"を持てた。集う人の胸に"無形の何か"がたまっていった。それだから、チクタクゲームは笑いと涙・・・。(タクさん、お疲れさま。)

臨時参加のFシェフが帰途の車中、『みんないい奴さ。あったかい奴らさ。』と繰り返し言っていたとのことだが、彼の今の魂が観たものはおそらく正しい。彼我のために、作業班のために、ホント良かったと思う次第。

またお会いしましょう。

第一作業班も原点としての誇りを胸に〔復活ののろし〕を上げる由、慶賀です。

(この稿は、次の稿「好敵手に助けられる」予備役班員:とセットでお読みください。)

○写真集(飯田くん、湯豆腐セット御礼です。)

 

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好敵手に助けられる

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週末はあいにくの雨模様でしたが、Fシェフ、Y賄い班員を同道しての
久々の山荘行き。
高速道路1000円の影響で混雑か?と心配していましたが、
ここは雨天に助けられたか、極めて順調に諏訪南に到着。幸先良し。

今回は第三作業班のみなさんにお願いをしての合同企画。
到着して聞いてみると総勢12名になるとか。いつも2パーティの確保も
容易でない我々から見るとうらやましい限り。昨年には庵主さまから
いまや"予備役"との異名をいただいた第一作業班の一員としては、
勢いの差を実感。主軸メンバーの病気欠場を見るに、
2~3年前の巨人ってこんな感じだったのかとも思う。

このロートル組も「単なるお客にはなってはならぬ」との庵主様の指示があり、
リハビリ中のFシェフを筆頭に買出しにでかけ、地元食材の野菜スープを作る。
料理を作り始めるとどこか遠慮気味だったFシェフも本領発揮となり、
「こんな切り方じゃ、ダメだ」とエンジンも全快に。
注文をつけられた当方もFシェフの回復ぶりに接し、嬉しくなる。
課題を与えていただいた庵主様に感謝!

 

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とは言え、今回は第三作業班に完全におんぶに抱っこでお世話になりました。
あれだけのメンバーが、ひとりひとり役割を考えて、動いている姿に感激しました。
「気がつくと、誰かが消えて、さぼっている第一班とはえらい違い」
とのY賄い班員の弁。確かに納得。

いつもブログ写真で見ていた鯛の塩釜蒸しも絶品でした。


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車えびの炭火焼、豆腐鍋、キンピラ云々とどれもおいしい。
他人の飯は食べてみるもんだ。大いに満足、大いに刺激を受けました。
人数が多いと大変な品数もあっという間に平らげられていく。
「昔の家族の食事ってこんなもんだったんだろう」とは面々を眺めての庵主様のコメント。

 

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山荘の空気とメンバーの心遣いに心と体のリハビリができました。
ありがとうございました。


第一作業班は、復活の狼煙を上げるべく、新橋辺りで暑気払いをやりましょう。

 

蓼科山荘の開設は2000年1月。翌2001年からは沢山の来訪者があって、あのピカソカレンダーも色んな笑顔であふれていた。

一転2009年、家人はたまに行くけれども、客人来訪者はめっきり減って、このブログもほぼ2ヶ月ぶりに書いている。あの山ツツジは今年も咲いているのだろうか。小川の先の谷間にひっそりと、しかし毅然とした姿で・・・。 山つつじ.JPG

来訪者が今年減ったのは、例の"100年不況"も少し関係あるのだが、それよりもこの10年のなかで、定番メンバーの上に降り積もった歳月の故である。病いを得た者、異動になった者、環境が変わった者などが一度にどっとやって来た。加えて不況で遊び心が湧かない者・・・。とりわけこの傾向は、あの栄華を誇った「第一作業班」に顕著だ。思えば「作業班の歴史」という記事を書いたのは、その凋落の予感だったのかも知れない・・・。歳月が降り積もっている。

山荘庵主自身が『粘れ、精神』などと自身に気合を入れている昨今ではあるが、ついでに今思う。そうだ『粘れ、山荘』。10年の思い出を糧に、新たな憩いの舞台になれ。

5月29日~31日にかけて「第三作業班」が来訪する。ここにもいくつかの変化があったが未だ元気印。そしてそこに「第一作業班」から、病気リハビリ中のFシェフがK予備役班員、Y賄い班員とともに参加する。初めてのというか、よんどころない仕儀による合同企画。第三の料理主任は、Fシェフに築地を教授されたという関係でもある。山荘の縁。

楽しい集いになるといいなあーと強く思う。そして再び蓼科山荘がそれぞれ思いを乗せて「第二ステージ」に向かって歩み出すのを期待を込めて願っている。

筆者自身に向けてだけでなく、各作業班員に改めて告ぐ。『粘れ、精神』。

 

 

 

「イチローは老人の宝だ」・・・この言葉を思いついたのは、2001年に遡る。

それはイチローが海を渡ってシアトル・マリナーズに入団した年。マリナーズのユニフォームを着た入団会見で、うれしそうにくるっと回ってみせた姿が忘れられない。そして日米の関係者の大方の予想を裏切って、あの活躍をした。開幕でいきなり2本のヒットを打ち、その年最高得票でオールスターに選ばれ、新人王、首位打者、盗塁王、そしてMVPになった。

さて、開設2年目になっていた蓼科山荘は、すでに「定番来訪者」がいくつか出来ていたが、その一つがW大の広告研究会OBの面々。彼らは日本の高度成長を走りぬき、定年を迎えていた。ご他聞にもれずゴルフ以外はさしたる趣味も無い面々。朝早く起きて、ちょっとした庭いじりをしたあとの膨大な無聊の時間。そこをイチローが完全に埋めてくれたのである。

それまで大リーグは、パイオニア野茂の活躍が話題だったが、いかんせん投手。毎試合は出ない。しかも興味は彼が投げている場面のみ。毎日の楽しみにはならない。そこにイチロー。ほぼ毎日、打撃も走塁も守備もフルタイムで楽しめる。これに老人達が熱狂した。ちなみにあの"レーザービーム"は、開幕間もない4月13日の出来事。

おじさん達(W大OB)8人が蓼科山荘に来たのは2001年8月だったが、そのうちの7人は、その時すでに「にわかマリナーズフアン」になっていて、最近の試合やら、各選手の寸評やら、はては監督(ルー・ピネラ)の采配まで、話し始めるととまらない有様。あきれ返る残りの一人・・・といった状況だった。話す口振りに強い興奮が混じっている。これを深読みすれば、この世代は戦後まもなく小学校に入った世代で、人生ずっとアメリカの国力にわずかなコンプレックス(と憧れ)を持っていた世代ゆえに、「イチローが日本人を代表してアメリカをうならせている」という感覚が付加されているようだった。

働きずめで生きてきて定年を迎えた彼らに(小生のことはさておく)『毎日の希望』を作り出しているイチローは、まさに"老人の宝"だなー。そういう感慨だった。

時は流れて2009年。WBCでまた「神が降りた」。そして老人ばかりでなく、若者が選ぶ「理想の上司」で1位、「好きなスポーツ選手」ではあらゆる世代で2位に圧倒的な差をつけて1位なのだそうな。

それでもなんでも一度イチローに向けて書いておきたかった。2001年からの様々な結果と振る舞いをすべて含めて『イチローは老人の宝である』と。

 

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9年連続200安打への今シーズン。イチローが老人の宝である時は続く。プレイスタイルに何かの評がつくのはお構いなし。自分の道を行けば良い。(並なら雑音も無いわけだけれども・・・。)

またシアトルに行きたい。イチローを観に。

 

上野公園にある「韻松亭」で、第一作業班の少し遅れた新年会が行われた。

2月6日午後6時30分集合。

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集まったのは、K予備役班員、N親方、Y賄い班員、それから客員で第三作業班のKリーダー、そして小生の5人。N作業主任やK賄い班員が仕事の都合やらで欠席となり、T姉御も直前に出張が入って来られず・・・。残念。

風雅な座敷で河豚料理を堪能するなか酒もすすみ、談論風発。声音も次第に高まり、この会がかつて「阿呆の会」と呼称していたのもむべなるかな・・・の風情となった。韻松亭の帳場では『今日は一組かまびすしい客が居る』と話題になったかも。

「この席にF主任シェフが居ればなー」としんみりする時間もそれなりにあったものの、エスカレートする勢いで2次会、3次会へ。解散は深更というか築地人なら起きようかという時間になった。ちょいとくたびれはしたが、楽しい時間だった。蓄積した「第一としての歴史」がなせる業であろう。

各位の手持ちの状況から次回作業班企画の日程は未定だが、今回欠席の人も含めての蓼科での再会がつつがなく行われることを期待している。しかしその時も「作業班」としては手本を示す程度で実働は第三にゆだねる・・・という姿になろうか。時が流れている。わずかな哀歓。

まったく唐突に、「この手のメンバーでSeattleに行ってイチローも観たいな。」という思いが湧く。思えば山荘開設前の阿呆の会はよく海外旅行に行ったものだった。(M商事のMさんに世話になって)。これも実現の具体的なイメージが、今は、無い。儚い夢とまでは言わないけれど・・・。(Seattleの事はまた改めて。イチローへの稿とともに。)

さて再び。時が確実に流れている。班員のそれぞれに降り積もった歳月がそこにある。それでも時の重りを乗り越えて[FシェフがN親方に炭火の熾り具合を大声で尋ねるの図]は実現せねばなるまい。その時、班員それぞれの時間が数年巻き戻される。"働き者"の予備役班員が笑う。賄いチームが活気づく。旨い晩餐と他愛ない会話への期待がふくらむ。夜が香る。

ひとときの山荘マジック・・・・。

 

まだ厳冬の蓼科ではあるが、今回「餅つき企画」に参集した第三作業班:SHOPチームは盛りだくさんのアレコレ。気分は満開のような・・・。

1月30日前泊は例によって木村さん、大野さんに加え稲葉さん。深い霧のエコーラインを堪能。翌日に備えて餅米とぎなど。そして鮭缶と柿の葉鮨の酒宴。じゅじゅさんは山荘に来ると"飲兵衛"になる。午前3時就寝。強い雨。

翌日は「築地発--温泉寄り道--山荘着」単独来訪の志文さん。この人は元来の温泉おたくに加え今や古代神話にもはまりこんで「古事記」や「日本書紀」を読んでいるとか。驚き。そして電車組の4人(山本さん、木島さん、上田さん、新屋さん)は茅野駅からレンタカーで。31日昼には全員集合。薄日差す。気温ほぼ零度。

今回は小生が新しいMacとネット用のフォーマカード(&プリンター)を持込んだために作業の流れが2分した。家電店のVer販売ミスもあって接続が難航し、木島さんは1日午前までほぼこれにかかりきり。上田さんが時折アシスト。ともかくも最後には難題をクリアしてネット接続がOKとなった。木島さんの粘りに拍手。

一方餅つき組は、蒸し方で又々学習があったものの、3度の餅つきを手早く完了。搗きたての味は、もちろんのおいしさ。小豆、大根おろし、きな粉の3種に思い思いの手がのびる・・・。

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夜は、晩餐の名にふさわしい味の彩り。定番である鯛の塩釜。これ今回は和風味付けで、鯛の旨さがしっかり判る優れもの。加えて海老と蟹、そして野菜の鍋。じゅじゅさん希望のきんぴらもでた。あっという間に無くなる。リベンジ企画のアサリの酒蒸しも・・・。鍋に、昼間搗いた餅を次々入れて食す豪の者も出現!

夜が更けた所で、先ず前回話題となった「日本の神様カード」の再興行。何故かその人に縁ある(と思われる)神様が登場してくるところがまさに神事なり。

そして次はリハーサル付きでの『寸劇』。「SHOP重大発表部会の場:一幕」。これはそれぞれの思いを乗せて笑いと涙のうちに終幕となった。次のステージにむけて肩を組んで乾杯!

ラストには鍋の残り汁でおじや、そしてストーブ目玉焼き。全くよく食う。これなら大丈夫だろう。

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1日午前、Mac作業も終り、ゆっくりの朝食のあとに山荘内を美化。それぞれが分担協力しての手抜きの無い姿は小気味良い。この共振エネルギーで、SHOPの新しい道が、際どくも切り開かれていくのを祈念すること、切なり。

帰り際に庭を見れば、まぶしい陽射しのなかで消え残る雪が輝いていた。重ねてSHOPの新たな踏み分け道を思った。

 

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正月、恒例の一家企画(山荘で家族全員和服に着替えて百人一首)は、今年は頓挫。

近所の神社に参拝。 さておき山荘来訪者の皆様、新しい年もご愛顧あれかし。

この09年の経済環境は、なにやら「価値観回帰」の予感へつながるものですが、

もともと山荘来訪者の多くは『滞在時価値観回帰』なので、格好のつながり。何が。

さて来訪第一弾は1月末の餅つき企画。SHOPチーム(第三作業班)に第一のN主任とか混在する段取り。これまで冬の餅つきは何度か行われているが、いくつかの失敗体験もある。なんと言っても前夜の手はずが大切なわけだが、過去最大のミスは「もち米をお湯で洗った」こと。なにしろ水は文字通り"手を切る"ほどだから、気持ちは判るけれど・・・。

今回は「旨い餅をつく」そして「食らう」それから「温泉」夜は「しみじみ酒」。回帰タイムなり。

そして、あの山つつじが裏の流れの斜面に咲く、遅い山の春を想う。

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山荘にまたヤマネがやってきた。これで3回目だが、今回は息をしていなかった。先に滞在した家人が「冬眠かも・・・」と一縷の期待で手厚い環境にかくまったが、残念。ヤマネが冬眠するときはボールのように丸くなって長い眠りを迎えるとのことだが、これはそうではなかった。

そこでテラスそばの石の前を「眠りの場」として落葉の中にそっと安置し、一応線香をたむけた。木村じゅ君と二人で手を合わす。

もちろんこのヤマネ君が春に眠りから醒めるのならそれは嬉しい。さなくともこの可愛い動物(天然記念物)の命に祈りと、我が山荘来訪の感謝を捧げるものである。

僅かに残る紅葉の中に、ヤマネの仮の墓がある。

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たまたま撮った1枚はミレーの絵のようなタッチになった。晩秋の蓼科。ひとり予備作業に没頭するのは木村樹紀さん。

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11月7日~9日に掛けて、2008年秋作業班来訪シリーズの第三弾として第三作業班。

今回は色々な事情による「残念不参加」者が多発し、木村じゅさんのほかは常連の高森志文さん、半常連の稲葉珠恵さん、久しぶり参加の新屋満里子さん、初参加の山本卓也さんという顔ぶれになった。テーマは、1.作業による達成観、2.神様カードによる開放感、3.おいしい食べものと語らいによる連帯観・・・といったところ。

作業は、先に第一が半分やった「ゴミロードの杭と棕櫚縄」の残りの片側部分。これに使う「年輪杭」は先に第一がメガマートで買占めてしまったので、小生が事前注文しておいた。第一に比べての変化は「杭をやや高く出す」「立ち木にグルグル巻きしない」「杭の間隔を事前に考える」「3本の棕櫚縄の幅を精密にする」など。出来上がりを眺めて彼ら曰く『第一より上等です』ほか云々と自慢げ。

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○帰りきわに記念写真

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ところで晩餐は定番の鯛の塩釜のほかは、同じく築地で仕入れた牡蠣の鍋。ここでもあの蓼科自由農園の野菜やキノコが大健闘。そして食用ほおずきも・・・。

 

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深厚には「神様カード」でほのぼの自問自答タイム。木村じゅ君は神のなかの代表格が守護神となった。拍手(かしわで)。信ずれば加護はある。

別れ際に『次はまた餅つき・・・』と。

 

 

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今回の第二作業班に「駆けつけ」来訪した村井満さんのscheduleは驚きもの。

「ブロックしてあった日程に海外出張が入ってしまいましたが、その日程を切り詰め、18日土曜の夜には成田へ。翌日19日朝には山荘に行きます。ソーラー磨きのために・・・。そしてその日は自宅新築の地鎮祭があるので、山荘作業は午前8:00~11:00時という予定でトンボ帰りします」という驚きの事前メール。

サッカーの観戦での「ゼロ泊・3日弾丸ツアー」で鍛えたおかげで・・・と当人が言うそのとおりの強行で当人が予告どおり19日の午前6:30分ごろには山荘に現れた。雑炊をかき込んでイザ作業へ。

もともとこのソーラー磨きは村井商会の専門作業で、それに使う長い竹の棒も、当人が別荘地を歩き回って探してきたものなのである。「これをやらないと暮が迎えられない」とかの気合で、今回の弾丸来訪になった。この訪問日程と(知人の山荘の)ソーラー磨きという内容を、単に外形的に事実だけを並べて他人が見たら、それは、狂気とは言わないまでも、???!!!の連続であろうか。

ともあれこの作業は、さらに進化した姿で行われた。終わってシャワーを浴びて着替えて、ぴかぴかのソーラーを見上げる当人の笑顔が明るい。そして予告どおり11時には帰路に。滞在4時間半。

山荘の何かが、不思議な行いを呼んだものか。その元になっている栗の木が微笑んでいる。

○まず下から脚立の上で

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○屋根からハーイ

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